実際、印刷所のご先祖様と、斎藤紀一院長は仲良しになり、院長が東京へ転居したのちも交流が続いた。横浜へ行ったり、東京の歌舞伎座、大相撲へ行ったりされたそうだ。
でも、何も記録はない。
記憶されたお話を文字に残すしかない。
実際、印刷所のご先祖様と、斎藤紀一院長は仲良しになり、院長が東京へ転居したのちも交流が続いた。横浜へ行ったり、東京の歌舞伎座、大相撲へ行ったりされたそうだ。
でも、何も記録はない。
記憶されたお話を文字に残すしかない。
*現在ある斎藤医院さんとは無関係です
ある日、その院長さんとご先祖様が仲良しだったおうちの方に会った。
記憶力の良いかたなのだ。
そして、そのお隣の印刷所さんで当時の開院広告がすられたことが分かった。
藤岡先生の出される印刷物には、その印刷所の名が加わった。
あいにくと印刷所の火事によって建て直されたので、旧印刷関連の資料はなかった。
*現在ある斎藤医院さんとは無関係です
さて、秩父市の皆様のご厚意で、見ず知らずの私にも親切に協力していただいた。
もしも見つかったら、あるいは観光の助けになればと思う気持ちがある。
図書館にもない古い地図をお蔵から探してみせてくださった方がある。
一番候補の場所のおうちでは、年代から調べて行っても、可能性は高いが決め手がない。おうちには秩父事件の時の柱傷が残っていたはずだが、壊されすっかり改築された。その家に医師が使うお薬を粉にする道具が以前はあったのだが、どなたかに貸したままで戻らなくなった。このおうちの墓所のお寺さんへも案内していた頂いた。年代など、墓石で見せて戴いた。
すると、お寺の方の一人がが、子供のころにその話をきいたことがあったそうだ。でも場所は覚えていないそうだ。
以前から、秩父市である場所を探していた。
それは、歌人斎藤茂吉の舅となった斎藤紀一氏が、医師免許を埼玉県川越在住時に得て、医師として初めて開院した斎藤医院のあった場所探しだ。(ただし、現在秩父にある斎藤医院さんとは関係はない。)
三島の歌人藤岡武雄先生の著書でこの大宮は、現在の秩父であることを知り、探し始めた。のちに、斎藤紀一氏の山形県在住の父親が書いた日記の写真を、藤岡先生からいただき、それをもとにさがしていた。
当時私がすんでいた入間市からでも、秩父市へは電車で1時以上かかり、そうたやすく行けるわけではなかった。さらに、途中で埼玉県から神奈川県へ転居し、研究はなかなかはかどらない。
しかもインターネットでは、埼玉県大宮に開院したとなっていて、その大宮の文字をクリックすると現在のさいたま市大宮区になる。
しかし、このことは秩父の医師会さんの発行したものにもちゃんと書かれている。
秩父市在住だった研究者もおられた。研究したが見つからなかったのだ。そして、研究者さんは亡くなり住んでいたおうちは空き家になっていて、縁者の方とは連絡がつかない。
それは明治時代のことだが、当時はまだ地番もなくて、のちに税金徴収のため地番も決まったようだ。医院開院の際の広告では、町名は判るが番地はなかった。
私の生まれ育った家は、「松月堂」という名の菓子屋だった。
私は子どもの頃は、本気で跡を継いで菓子屋になるつもりでいた。
父は小さい時に自分の父を失い、苦労したらしい。
お菓子屋さんへ住み込みで奉公して技術を覚え、大人になって独立して和菓子屋を開いた。父の母親と、妻となった母とで、従業員さんもいたらしい。
父は、自転車の後ろにまんじゅうなど乗せて、遠くへ配達に行ったらしい。
母は、朝早くから、夜遅くまで、菓子屋を手伝い、従業員の世話をした。
1階から2階へは、黒光りのする梯子段がかかっていた。
毎晩、どんなに遅くなっても母はその階段を拭かぬうちは寝ることはできなかった。
母は、赤ん坊を背に負いながら、病気の姑の世話もした。
でも、3人の男の子を亡くした。
戦争で砂糖が手に入らなくなり、菓子屋をやめたそうだ。
若い従業員は戦争へと駆り出された。
その後に残ったのが両親と、姉と、戦後生まれの私だ。
姉は結婚して、新しい家へ引っ越した。
そしてある日、私と両親も突然に引っ越しをした。
元の家に残した菓子を作る道具もすべて無くなり、父が毎日書いていた日記もすべて消えた。まだカメラだって高級品だったから、お店の写真もたった1枚だけ、ぽちの写真も1枚だけ。
私は転居してじきに家を出たので、ほんの何回か元の実家があった所を見に行った。
井戸の後だけが残り、駐車場になっていた。
友が結婚して遊びに行ったら、昔私の父がその近所へも配達に行っていたと友のご主人様から聞いた。
2007年から1年ほど、ブログにそんな話もかいた。通信教育卒業までの半年くらいの様子もかいていたので、読者さんのコメントによれば半年で2万件のアクセスがあったようだ。
そしてブログをしめる時、たった1冊の本にした。
国会図書館へもどこへも納めず自分の手元用に作り、昨日思い出して読んでみた。
同じ名前でこのブログを開いたときには、自分史をまとめるつもりだったのだが、
なんだか忙しくてさっぱり進まず、とりあえず故郷に関する本の紹介ぐらいで終わっている。
友人から、思いがけなく所沢・深井醤油のたまり漬けを頂いた。
風味漬けにもいろいろ種類がある。
風味きゅうり醤油漬け
風味なす醤油漬け
どちらを先に頂こうかなあ?
何しろ江戸時代の安政3年から続く醤油づくりのお店。
しかもそれが、私が結婚するまで勤めていた職場の近くに
あるお店だから、青春の思い出いっぱいの懐かしいお漬物だ。
これからも末永くご商売を続けてください。
ご馳走様でご座います。