ぽちのいた松月堂

今日も楽しく

秩父夜祭 上町屋台保存会のカレンダー

数年ぶりでできた秩父夜祭のカレンダー。

上町の方から送っていただいた。

有難うございます。

 

前回の数年前上町屋台保存会のカレンダーが惜しくて机の前に貼ってあったので、

早速来年用に張り替えた。

 

このカレンダーが貼ってあると、なんだか部屋が活気づく。うれしい。

 

 

今日もお菓子

 

     今日もお菓子がいっぱいだ。

     明日からはお休み、ゆっくりこれらを楽しもうっと。

 

 

 

  しかし、血糖値の高い友人はこういうのが苦手だ。甘いものは家でも控えているが、なかなか数字的には下がらないそうだ。気の毒に。たまに会う時には、どんなお店だったら食べられるものが有るのかなあと聞いてみる。

 

私も40代の頃は、まったく食べられないものが多かった。どうしてもお付き合いで行く宴会のような場所では、自分の料理は周りの皆に食べて貰った。もちろんアルコールなんて、少しの味見でさえできなかった。

 

体を大事にしてねー、いつまでも仲良しでいてほしい友だ。

菓子 栗助

秩父のお友達から頂いたお菓子

   

   栗助

 

今の季節にぴったり。しかも栗が大好きな私、ごちそうさま。

この焼き菓子製造者は、㈱和銅鉱泉旅館

和銅鉱泉と言えば有名で、和道という元号もある。

 

 

  

 

秩父市で見つけた菓子の松月

何度も秩父へ行ってたけれど、昨日は偶然お菓子屋の本家松月を見つけた。

どうして今まで気が付かなかったのか、この道を歩いていなかったのか、

みそまんじゅうをいくつか自宅へのお土産用に買った。

 

  

 

 

 

 

私の父親がお菓子作りの修行をした店は、埼玉県内だがここではない。

それでも、父の遺影にお供えした。

 

きょうはおいしい狭山茶を淹れてゆっくりと味わった。

あんこも甘すぎず、みそまんじゅうの大きさも大きすぎず

とてもとても美味しかった。

また今度秩父へ行ったら忘れずに買ってこよう。

 

本 佐渡新発見

落語家の入船亭扇橋師匠が宗匠をつとめていた東京やなぎ句会の発行による本。

 

書名   佐渡新発見 伝統と文化

編著者  東京やなぎ句会

発行年  1993年5月31日

発行所   ㈱三一書房

価格   本体777円+税23円

この本の中の題字頁には、師匠直筆の俳句が書かれている。

 あぢさゐやどこかに水の音がして  扇橋 印

 

昭和44年に始まった東京やなぎ句会では、扇橋宗匠永六輔さんも小沢昭一さんなども句会の会場を設定したりする準備のお当番が順番に回ってくるそうだが、若いころはお酒やお料理のおいしいところを見つけたが、歳を重ねたら飲めなくなっていって、甘いものがおいしいところを探すようになったと言っていた。ラジオから流れる永さんや小沢さんの声も、楽しみに聞いた。

 

九代目入船亭扇橋師匠のお姉さんの所へバスに乗ってお使いにいかされて、私は子供のころから可愛がられた。その弟さんである入船亭扇橋師匠も、私にとっては遠縁の方だと聞かされていた。大人になってから、お姉さんと私共姉妹で池袋の寄席へ一緒に行った。楽屋でお会いした師匠の優しかったこと、客席から見た落語の素晴らしかったこと、とてもうれしかった。

すっかりファンになり、新宿や上野の寄席へ行ったり、三越劇場国立演芸場中野サンプラザの一門会へも通った。お友達や、夫と、行くたびにその人情噺に感動した。

 

私が当時出していたミニコミ誌に、無料で俳句の原稿を寄せて戴いた。お手紙に写真が同封されてくることもあった。

 

やがて病気になり入院された。奥様が毎日のようにバスに揺られてお見舞いに通ったが、そのうち奥様が病気で先に亡くなられた。それは、扇橋師匠にとっては本当につらいことだった。

そうそう、師匠が大ファンだった島倉千代子さんも先に亡くなられたかしら。

そして、2015年であったか、7月10日に呼吸不全で84歳にてお亡くなりになった。告別式へは、私は一人で行った。大勢の参列者でも、お姉さんのご家族のほかはほとんど知らないひとばかりだった。落語家さんも大勢見えていたのだろうが、お弟子さんのほかに私がお顔を知っている落語家さんでは、林家たい平さんがとてもとても寂しそうにみえた。扇橋師匠が通った学校は、埼玉県の西武鉄道沿線の飯能市にあった。自転車で東京都青梅市から通った。その中学で先生から俳句の手ほどきを受けたのだ。たしか、学制が途中で変わったはずだ。

俳句の歳時記の本には、光石 という俳号で扇橋師匠の作品が収録されている。

 

西武鉄道が延長されて,たい平さんの住む西武秩父迄、トンネルをくぐってつながったのは、私が小学生のころだったかと思う。

 

長いコロナ禍の間に、師匠のお姉さんも亡くなった。このご本は、私にとって大切なお二人の思い出につながる本なのだ。

中野サンプラザの建物も今年はお別れになった。

 

1冊の本から、思い出は次々つながっていくものだ。