私の生まれ育った家は、「松月堂」という名の菓子屋だった。
私は子どもの頃は、本気で跡を継いで菓子屋になるつもりでいた。
父は小さい時に自分の父を失い、苦労したらしい。
お菓子屋さんへ住み込みで奉公して技術を覚え、大人になって独立して和菓子屋を開いた。父の母親と、妻となった母とで、従業員さんもいたらしい。
父は、自転車の後ろにまんじゅうなど乗せて、遠くへ配達に行ったらしい。
母は、朝早くから、夜遅くまで、菓子屋を手伝い、従業員の世話をした。
1階から2階へは、黒光りのする梯子段がかかっていた。
毎晩、どんなに遅くなっても母はその階段を拭かぬうちは寝ることはできなかった。
母は、赤ん坊を背に負いながら、病気の姑の世話もした。
でも、3人の男の子を亡くした。
戦争で砂糖が手に入らなくなり、菓子屋をやめたそうだ。
若い従業員は戦争へと駆り出された。
その後に残ったのが両親と、姉と、戦後生まれの私だ。
姉は結婚して、新しい家へ引っ越した。
そしてある日、私と両親も突然に引っ越しをした。
元の家に残した菓子を作る道具もすべて無くなり、父が毎日書いていた日記もすべて消えた。まだカメラだって高級品だったから、お店の写真もたった1枚だけ、ぽちの写真も1枚だけ。
私は転居してじきに家を出たので、ほんの何回か元の実家があった所を見に行った。
井戸の後だけが残り、駐車場になっていた。
友が結婚して遊びに行ったら、昔私の父がその近所へも配達に行っていたと友のご主人様から聞いた。
2007年から1年ほど、ブログにそんな話もかいた。通信教育卒業までの半年くらいの様子もかいていたので、読者さんのコメントによれば半年で2万件のアクセスがあったようだ。
そしてブログをしめる時、たった1冊の本にした。
国会図書館へもどこへも納めず自分の手元用に作り、昨日思い出して読んでみた。
同じ名前でこのブログを開いたときには、自分史をまとめるつもりだったのだが、
なんだか忙しくてさっぱり進まず、とりあえず故郷に関する本の紹介ぐらいで終わっている。